地域とともに成長する高校生たち 藻岩高校「MSP」誕生ヒストリー

 2024年11月14日、藻岩高校の体育館に集結していた高校2年生たち。これから、とあるプログラムの全体発表会が始まる。その名も「MSP」全体発表会だ。

 

「MSP」とは、藻岩スマイルプロジェクトという藻岩高校の総合的な探究活動の愛称だ。生徒たちは1年次は週に1時間、MSPにつながるプログラムを実践し、2年次には週2時間をかけ、授業の一環としてMSPの探究活動を行う。目的は、「社会の一員として、地域の課題解決に向けたアイディアを共創する」こと。2年次になると、生徒たち各々でグループを作り、どのような活動をしたいかプロジェクトを企画・構築・実行に移していく。


ちなみに、MSPという名称は

の頭文字をとって命名された。

 プロジェクト構築には、3つのステージがあり、

ステージ1 課題の設定(南区や札幌の問題、魅力をイベントに参加したりフィールド調査、文献調査などで見つけていく)

●ステージ2 課題解決案を立案→アクション(行動)に移す(イベントの企画運営や参加、インタビュー、文献調査や成果物作成などを行い、「計画→準備→アクション」のサイクルを繰り返す)

ステージ3 まとめ・発表成果やプロセスをまとめて、グループごとにプロジェクトのプレゼンをしていく。プレゼンは選考会と全体発表会の2段階あり、選考会を経て選ばれたグループが全体発表会でプレゼンテーションを行う)

 

全体発表会は、いわばMSPの集大成とも言える大イベントなのだ。


この日のMSP全体発表会では、全60組の中から選考会で選ばれた20組が体育館の各ブースでプレゼン発表をしていた。生徒たちは4組分、グループのプレゼンを聞くチャンスがあり、興味のあるグループのブースを訪ねていく。

「藻岩ジェラート制作部」や「川沿ボッチャーズ」など藻岩地区にちなんだプロジェクト名も並んでいた。「南区食べログをめざして」というタイトルで南区の飲食店を紹介するリーフレットを作るグループは、藻岩地区の「カキツバタベーカリー」を訪ね、Instagramでもその魅力を発信していた。

  また、グループの中には、「野生動物との共生社会を目指して~学びの成果と活動の未来」というタイトルで円山動物園と共同で活動をしたグループもいて、活動の幅の広さや主体性に驚いた。何よりプレゼンシートのデザインや展開も工夫されていて、内容が伝わりやすかった。

そして最後には、全体発表会でプレゼンをした20組の中から、投票で3組が選ばれ、1年生、2年生全員の前で発表を行う。1年生にとっては、ここで先輩たちの発表を見て、来年度への構想を広げるきっかけとなる。

選ばれた3組のうち、グループ名「虹」は中ノ沢町内会と親交を深め、プロジェクトを遂行した。

「高齢者の夢を叶えたい」「笑顔をみたい」という思いから生まれ、「若者ともっと関わりたい」という中ノ沢町内会の皆さんの夢を叶えるためプロジェクトが開始。定期的に行われているボッチャに参加したり、中ノ沢の夏祭りの準備やアナウンスを手伝うなど地域にも貢献していた。秋祭りでは準備の手伝いに加えて、メンバーの一人が空手の演武を披露するなど交流を深めた。高校生たちは感謝のメッセージカードや町内会で使用するスタンプカードを手作りして渡すなど、町内会の皆さんが笑顔になるプロジェクトを見事やり遂げていた。

 高校生が自発的に地域に関わり、思いや想像を形にしていく。いったい、この「MSP」はどのようにして生まれたのか気になり、生みの親である先生たちを訪ねた。

 「MSP」はこうして生まれた

 MSPの生みの親と言われる先生は3人いる。そのうちの2人の先生にお話を伺うことができた。

MSPの土台を作った千葉二先生(写真・左)と、その土台を藻岩高校の教育の目玉として制度化した長井翔先生(写真・右)だ。

MSPには前身がある。2018年に探究という授業内で試験的に始められた「南区の課題解決学習」だ。このプログラムを始めたのが千葉先生と、もう一人、高木大作先生の2人の先生である。それまで探究の授業では、リスト化された企業の一つに出向いて職業体験をしたり、北海道大学の模擬授業を受けて、授業の感想などをまとめて発表するような内容だった。それはそれで学びはもちろんあっただろうが、学校が決まった課題を生徒に提供し、生徒たちもそれをこなす、という普通の授業の流れだった。

 MSPの土台をつくった千葉先生自身も藻岩高校の卒業生だ。「自分がいた時代と比べて、生徒たちが楽しくなさそう、毎日課題に追われているだけで、つらそうに映った」と話す。

少しでも生徒たちが自発的に何かを考えて、達成できたらと思い、探究の授業内容を地域の課題解決に切り替えたそうだ。

 

 

千葉先生「最初は地域の方に声をかけて、高校生と座談会をする場を作ったり、プロジェクトに最初から最後まで付き添ったりもしていましたが、生徒たちが地域の方々とこれまでになかったような関係を築き始め、少しずつ自発的に動くようになってきたと感じました。近年では先生の手も借りず、自らやりたいことを探して、突き進むようになりました。」

 

藻岩高校の教育の柱となる取組みに

 南区の課題解決学習をMSPとして確立した長井先生。「千葉先生、高木先生による新たな取組み、努力を知り、そして、何より生徒たちの変化を見て、これは絶対に藻岩高校の今後の教育の柱になる取組みだと感じたんです」と語る。長井先生は当時、学校の改革を考える検討委員会に所属していた。「学校として続けて行うものにしましょう」と改革メンバーに提案し、職員会議にかけ、翌年MSPという名前で、プログラムが継続されることが決まった。MSPの名称の名付け親も長井先生だ。「教育関連の視察で全国を訪ねていた時に、岐阜県で地域の人たちに認知されていたプログラムが英語3文字の愛称だったんです。2か月くらい考えて、MSPにしました。」

特に大事にしているのはPプラットフォームという言葉だ。

長井先生「初年度の2018年にやっていたときに地域の方と懇親会を開き、振り返りの会があったんです。その時に地域の人から、「南区にも色んな地区があって、それぞれの地域はすごく元気。ただ、地区を超えたつながりはあるようでなかった。今回の高校生たちの活動のおかげで各地区同士でお互いを知れるようになった」と言ってもらえて。それは、この活動藻岩高校にあることで、地域のつながりが生まれたんだと思い、学校自体がプラットフォームになったらいいと思い考えました。」

 

千葉先生は「長井先生がいなかったら、1年の試験的な活動で終わっていたかもしれません。本当に先生が藻岩高校に来てくれて、MSPというプログラムにしてくれて嬉しかったです」と振り返る。

コロナ禍にも負けない 進化するMSP

MSPという名が付いてから6年。最初は自発的に関われる生徒は少なかったが、生徒たちの意識が劇的に変わったと感じたタイミングがあった。2020年、突如流行したコロナウイルスの影響で休校が相次いだ時だ。コロナ禍でもMSPの授業は続けていた。

 

長井先生「コロナの時は、外と関わるのがNGですよね。接触もできない。でも、逆に人と交われない環境におかれたときに、子どもたちに一番大事なことを伝えられるのではないかと思いました。当たり前だった人との繋がりがどれほど大切なものかを気付けるのではないかなと。初年度のMSPは教員がある程度リードしていましたが、コロナ禍で予定を立てることも難しくなり、課題決めから生徒たちに任せてみたんです。そのうち、生徒の方からもやりたいって気持ちやアイディアがでてくるようになったんです。」

  2025年度は7年目を迎えるMSP。これまでの生徒たちが携わったプロジェクトが今も続けられていたり、制作物を目にできる場所もある。


 滝野すずらん公園のビュースポットにあるハートのベンチオブジェもMSPで制作された(写真提供:藻岩高校)

MSPグループ「困ったくま」の生徒たちは高校卒業後も集まり、草刈りのボランティアをしている(写真提供:藻岩高校)

 MSPの活動がきっかけで進路を決めた生徒たちもいる。現在、藤女子大学の学生で、藻岩高校在学中に食をテーマにしたMSPを実施した「えなが」さんは、今や料理のレシピ本まで出版し、Instagramは2.3万人超えの有名人だ。

 

リンク \祝!出版!/0期生のえながさんのレシピ本「おいしい部屋」 - まなびまくり社

 

 地域とともにぐんぐん成長する高校生たち。2025年度のMSPは一体どんなプロジェクトが始まるのだろうか。これからも藻岩高校から目が離せない。

取材:御手洗志帆(アシスタント)2025 .2.28