アマチュア無線60年 趣味は人生を豊かにする!

椎谷泰世さん(川沿第二町内会)

 趣味や好奇心は人生を豊かにする、という言葉がぴったりと当てはまる人だった。

 昭和20年生まれの椎谷泰世(しいややすよ)さん。

 自宅には、高いアンテナが立っている。かれこれ60年間、趣味として続けているアマチュア無線用のものだ。子どもの頃から「ラジオ少年」で、それが76歳になった今も続いている。

 

  島牧村生まれ。この町の外には何があり、どんな世界が広がっているのだろう。そんなことを夢見る少年だったという。

 そんなある日、小学校5年生のとき、鉱石ラジオを自作した。このラジオから2400キロ離れた沖繩のVoice of Americaの音が聞こえてきた。この体験が椎谷さんが「電波のとりこ」になるきっかけだった。真空管ラジオ作りから始まり、中波から短波へ。そして、ラジオ放送ではない「アマチュア無線」の電波に出会った。高校では迷わず「アマチュア無線クラブ」に入部。2年生のときには手づくりで送信装置を整えて「開局」。交信相手は近所から北海道内全域、全国へ。そして、開局して2年半で、初の海外交信に成功した。

モールス信号発信機
モールス信号発信機
アンテナ操作のための機器
アンテナ操作のための機器

 無線機の操作はパソコンが主になったが、今でもモールス信号が打てる。試しに受信してもらったどこかからのツーツー音を、リアルタイムでアルファベットに書き取る。初めて見るその「技」に驚いた。

 部屋の壁一面にある引き出しには、交信の記録相手からもらったカードがびっしりと並ぶ。延べ交信局は約5万4千局。うち海外は約3万2千局だ。2018年には、1万局以上の交信を達成した人に贈られる「世界一万局よみうりアワード」を受賞した。無線の交信がきっかけで実際の交流につながり、海外に旅行したときに家を訪ねたりということもあった。

 「こんなに長いことやってるのは珍しいんじゃないですかね」と椎谷さん。

 さらに驚きなのは、権威あるアメリカのアマチュア無線団体が認める世界の国や地域340との交信を全部制覇していることだ。その「世界制覇」の最後の国は、旧ソ連時代に鎖国政策を取っていたアルバニアだったという。

交信相手と交換したカードは世界中から(写真提供:椎谷さん)
交信相手と交換したカードは世界中から(写真提供:椎谷さん)
今も続くバンド活動(写真提供:椎谷さん)
今も続くバンド活動(写真提供:椎谷さん)

 だが、アマチュア無線は趣味のひとつ。これだけでは終わらなかった。若いころは「ロックンローラー」。ビートルズの曲にはまり、コピーバンドをやっていた。パートはボーカルとドラム。大学のときに軽音楽部で活動した仲間で、今もライブをすることもある。コロナでしばらく中断したが、2022年秋には再開の予定だ。そのころのメンバーとも60年程のつきあいとなった。自宅の別部屋には電子ドラムのセットが鎮座する。

今もドラマー。電子ドラムで練習。
今もドラマー。電子ドラムで練習。

 地元の大学を出て、漁業系の金融機関の職員となった。35年勤めたうちの3分の2はコンピュータ部門に関を置いた。今のようなパソコンの時代ではない。集中型のシステム。「FORTRAN」や「アセンブラー」の時代。これらの名前を懐かしく聞く人も多いだろう。定年したら、JICA海外協力隊のやっている「シニアボランティア」に応募して、海外に行こうと思っていた。しかし、体の具合を悪くして断念。その夢はかなわなかった。

 

 その代わり、国家資格である「通訳案内士」にチャレンジすることにした。日本にやってくる外国人旅行者を案内するプロの通訳ガイドで、難関試験として知られる。海外旅行に行ったときの現地ガイドの姿に憧れたのが一番の理由だ。定年前から英語レッスンを開始し、勉強の末、4回目の挑戦で見事合格。

「人生でいちばん勉強しましたね」と当時を振り返る。

 コロナ前までは通訳ガイドとしての仕事がかなりあり、会社員時代よりも出張は多かったくらいだったという。だが、2019年の3月のコロナ禍以来、ぱったりと仕事は止まった。  今は海外からの旅行客が戻ってくる日に備えて、勉強の日々だ。そして、もちろんアマチュア無線も。送受信設備やアンテナの調整をしながら、さらに交信範囲を広めている。

 

※椎谷さんのコールサインはJA8AWH

 

(本記事掲載日:2022/4/6)